10.高根山(たかねさん) の お地蔵(じぞう)さま

               




(はなし)場所(ばしょ) ・・・  下田市(しもだし)


















むかしむかしのはなしです。

 河内(こうち)向陽院(こうよういん) のえんの(した) から、

ふしぎな(ひかりお) が、さしているのを、

村人(むらびと)() つけて、

村中(むらじゅう) がおおさわぎになりました。
  「向陽院(こうよういん) 」には、黄金(おうごん) のつぼが() まっている」

 「いや、つぼではないだろう。黄金(おうごん)仏像(ぶつぞう) かも() んねえ。」と、

 どちらともきめかねない(はなし) です。

 とにかく、(ひかり) のさすところを、() りおこしてみようということになって、

 おしょうさんを中心(ちゅうしん) に、だん()人達(ひとたち)見物(けんぶつ)村人達(むらびとたち)見守(みまも)(なか) で、

 床板(ゆかいた) をとりのけて、() りはじめました。
   一くわごと、ていねいに(いし) をどけ、(つち) をはらいながら、() ってみますと、

 黄金(おうごん) のつぼでもなく、黄金(おうごん)仏像(ぶつぞう) でもない。

 道端(みちばた)() っているような、(いし) のお地蔵(おじぞう) さまでした。

 (どろ) をかき(おと) とし、(みず)(あら) ってまいますと、

 なんとお地蔵(おじぞう) さまは、あばたづらで、みにくい(かお) をしていました。
 みんながっかりして、

 お地蔵(じぞう) さまはそのまま、向陽院(こうよういん)境内(けいだい) の、

 人目(ひとめ) につかないところに、ぽつんと() てておかれました。

 すると、() にくい(かお) のお地蔵(じょぞう) さまが()() されて、
 しばらくたちますと、

 向陽院(こうよういん)和尚(おしょう) さんは(ゆめ)() ました。

 和尚(おしょう) さんの(まくら) もとに、あのみにくいお地蔵(じぞう) さまが() っています。

 「高根山(たかねさん)(やま)頂上(ちょうじょう) の、(うみ)() えるところに(わたし)(はこ) んで(くだ) さい。

 そうすれば、海上(かいじょう) から、あちこちの村々(むらむら) 、みんな(たす) けます。」

 という(こえ) がしたかとおもうと、(ゆめ) はさめました。
 和尚(おしょう) さんは、さっそく村人(むらびと)相談(そうだん) して、

 高根山(たかねさん)頂上(ちょうじょう) に、お地蔵(おじぞう) さまを() てることにしました。
  ところが、村人(むらびと)一人(ひとり) が、 

 「どうせ、お地蔵(じぞう) さまを() てるだら、

 みにくい(かお) のお地蔵(じぞう) さまを() てるもいいが、

 もっといい(かお) のお地蔵(じぞう) さまにしたらいいずら。」

 といい、みんなもそれがいいということになりました。

 そこで、あたらしくお地蔵(じぞう) さまをほってもらい、

 できあがったところで、向陽院(こうよういん)和尚(おしょう) さんを先頭(せんとう) に、

 村人(むらびと) そう() で、お地蔵(じぞう) さまを高根山(たかねさん) にかつぎあげました。


  (みなみ)大海原(おおうなばら) から須崎半島(すざきはんとう) 、 眼下(がんか) には白浜(しらはま)(ひがし)河津(かわづ) から稲取(いなとり)() え、

 西(にし) には下田(しもだ) を、(きた) には河内(こうち)蓮台寺(れんだいじ)部落(ぶらく) から、

 稲梓(いなずさ)村々(むらむら)四方八方(しほうはっぽう) よく() えるところに、 お地蔵(じぞう) さまを() てました。
  すると、どうしたことでしょう。

 (あたら) しいお地蔵(じぞう) さまの(かお) がどっとくずれてしまいました。

 みんなは、あっとおどろき、(あお)(かお) をして見合(みあ) いました。

 「これはどうしたことだ、きっと、あのみにくい(かお) のお地蔵(じぞう) さまをここに() てろということだ。」


 「あのお地蔵(じぞう) さまは、みにくいけれど、きっとご利益(りやく) あるにちげえねえ」

 「すぐ、お地蔵(じぞう) さまをここにかつぎあげることにするべえ」
 (むら)人々(ひとびと) は、(いな) までの自分達(じぶんたち) が、

 あのお地蔵(じぞう) さまをひどくそまつにしていたことに() がつきました。

 すぐに、向陽院(こうよういん) にとって(かえ) すと、あのお地蔵(じぞう) さまをかつぎあげました。

 みにくい(かお) のお地蔵(じぞう) さまは、高根山(たかねさん)頂上(ちょうじょう)から、

 四方八方(しほうはっぽう)見渡(みわた) せるところにおかれました。
  ある(とし)紀伊(きい)(くに)和歌山県(わかやまけん) )のみかん(ぶね) が、夜中(よなか) にあらしにあい、

 (いま) にも(ふね)(しず) みそうになりました。

 その(とき)一人(ひとり)船乗(ふなの) りが、

 高根山(たかねさん) のお地蔵(じぞう) さまは、(ひと) のなんぎをすくってくださる、

 と、いうことを(おもい)() しました。

 「南無 高根 地蔵尊(なむ たかね じぞうそん)

 「南無 高根 地蔵尊(なむ たかね じぞうそん)

 と船頭(せんどう) をはじめ、船乗(ふなの)(たち) は、一心(いっしん) にお(いの) りしました。

  すると海上(かいじょう) はるか、高根山(たかねさん)頂上(ちょうじょう) から、闇夜(やみよ) をついて、

 (ひと) すじの(しろ)(ひかり) が、かがやきました。

 (ふね) はその(しろ)(ひかり) に、ひかれるようにして、

 下田(しもだ)(みなと)無事(ぶじ) につくことが出来(でき) ました。

 闇夜(やみよ)(ふね)(さき) へ、あのみにくいお地蔵(じぞう) さまの、お(かお) があらわれたといいます。

  それから、高根(たかね) のお地蔵(じぞう) さんの() は、

 船乗(ふなの)(たち)(あいだ) に、海上(かいじょう)(まも)地蔵(じぞう) として、有名(ゆうめい) になりました。

 伊豆(いず)(おき)(とお)(ふね) は、その()

 いく(たび) かこの高根山(たかね) のお地蔵(じぞう) さんに、すくわれたといいます。

向陽院(こうよういん)さん

向陽院(こうよういん)さん
高根 地蔵尊(たかね じぞうそん)
高根山(たかね)石仏(せきぶつ)さん

 
 
え  石原  かずたけ

                Copyright(C) Pension Mtatsurino All rights reserved.