4. 大浦船改番所 と 千石船

               

     ( おおうら ふなあらため ばんしょ と せんごくぶね

(はなし)場所(ばしょ) ・・・  下田・大浦(しもだ・おおうら)






















4. 大浦 船改(おおう らふなあらた)番所(ばんしょ)千石船(せんごくぶね)
 徳川家康(とくがわいえやす)江戸(えど)幕府(ばくふ)(ひら)くと、江戸(えど)大坂(おおさか)(むす)海上交通(かいじょうこうつう)一段(いちだんと)(さか)ん になり、

風待港(かざまちこう)である 下田(しもだ)江戸航路(えどこうろ)一の (みなと)と なりました。

幕府(ばくふ)最初(さいしょ)須崎半島(すざきはんとう)越瀬(おっせ)に 「遠見番所(とうみばんしょ) 」を(もう) け、 (のち)番所(ばんしょ)大浦(おおうら)(うつ) しました。
寛永(かんえい) 13(ねん) (1636) 下田(しもだ)大浦(おおうら)(うみ)関所(せきしょ)船改番所(ふなあらためばんしょ)御番所(ごばんしょ)御関所(おせきしょ) )」を (もう) け、

江戸(えど)出入(でいり)りする 廻船(かいせん)(すべ)て ここで 検問(けんもん)() けることに なりました。

このため、

下田(しもだ)は 「出船(でふね) ()(ふね) 3000(そう) 」、と ()われるほど (にぎ) わいました。

享保(きょうほ) 6年 (1721)、船改番所(ふなあらためばんしょ)浦賀(うらが)(うつ)されると、下田(しもだ)(もと)風待港(かざまちこう)戻(もど)りました。
 この時代(じだい)の 「風待(かざまち) 」とは 荒天(こうてん)(とき)だけでなく、  

 (なぎ)(かぜ)()むと

 順風(じゅんぷう)(ふく)くのを ()風待(かざまち)(おお)くありました
御番所(ごばんしょ) 跡地(あとち) ()(とお) 大浦 八幡宮(おおうら はちまんぐう

和歌浦(わかのうら)大浦(おおうら)

 
 
()(ぶん) 浜崎(はまざき) (しょう)(ねん)  細田学級(ほそだがっきゅう) 田中(たなか) 絵梨(えり)  増田(ますだ)  佳奈(かな)

                Copyright(C) Pension Mtatsurino All rights reserved.