22.雲見(くもみ)浅間(せんげん)さん

               




(はなし)場所(ばしょ) ・・・  松崎町(まつざきちょう)




















この(ほん)の「姉妹富士(しまいふじ)」という(はなし)

()んでくれましたか。

下田(しもだ)にむかしから(つた)わるお(はなし)しです。


その(はなし)とそっくりな(はなし)が、

松崎町 雲見(まつざきちょう くもみ)にもあります。

  その(はなし)とそっくりな(はなし)が、松崎町 雲見(まつざきちょう くもみ)にもあります。

 松崎(まつざき)下田(しもだ)は二十キロも(はな)れているのに、

 そこに(すむ)人々(ひとびと)気持(きもち)ちは、()かよっていたのでしょうか。

 それも、どちらが(さき)につくったものか、いずれにしても、むかしから今日(きょう)まで。

 何百年(なんびゃくねん)(かた)りつがれているのですから、

 どちらも人々(ひとびと)(こころ)にしみるよい(はなし)だとおもいます。
  その雲見(くもみ)浅間(せんげん)さんのお(はなし)をしましょう。

 雲見(くもみ)浅間神社(せんげんじんじゃ)に、まつってある神様(かみさま)

 駿河富士(するがふじ)浅間神社(せんげんじんじゃ)にまつってある神様(かみさま)姉妹(しまい)でした。

 雲見(くもみ)浅間(せんげん)さんはお(ねえ)さんで、駿河(するが)富士山(ふじさん)(いもうと)でした。 
   いつもいつも、いっしょに(くら)らして(なか)のよい姉妹(しまい)でした。

 いつの(ころ)からか、(まわ)りの神様(かみさま)たちが、

 (いもうと)浅間(せんげん)さんを、可愛(かわい)がるようになってしまいました。
   「ほんとうに、いい器量(きりょう)をしているなあ。」 

 「(こころ)(やさ)しい(むすめ)だ。」

 と、ほめたたえました。

 あげくの(はて)てには、 

「わたしの、お(よめ)になってくれないかなあ。」 と、まで()われるようになりました。
   このようすでは、お(ねえ)さんの浅間(せんげん)さんは、おもしろかりません。

 そして、(ねえ)さんは、だんだんと()つきが、きつくなって、

 みけんに、しわを()せることも(すく)なくありませんでした。

 それにひきかえ、

 (いもうと)浅間(せんげん)さんは、素直(すなお)(そだ)ち、()のたけも、お(ねえ)さんをぬいて、

 それはそれは、(うつく)しい(むすめ)になりました。
  ()がたつにつれて、姉妹(しまい)(なか)もだんだん(わる)くなり、

 もう一しょに(ある)いたり、一しょに(あそ)姿(すがた)は、()られなくなりました。

そして、ついに、けんかまでするようになってしまいました。

 (ねえ)さんの浅間(せんげん)さんは、(yま)()え、(うみ)(わた)り、(たに)をいくつか()えて、

 松崎(まつざき)雲見(くもみ)にたどりつき、そこへ()むことになりました。
  (ねえ)さん思いの(いもうと)は、(ねえ)姿(すがた)()たさに、

 毎日毎日(まいにち)背伸(せの)びをして、(まえ)にあるあしたか(yま)より(たか)くなりました。

 その(うえ)、ますます(うつく)しい姿(すがた)になっていきました。 

 (しろ)化粧(けしょう)をすると、それは、みごとな(うつく)しさでした。

 朝夕(あさ)()ずかしいことでもあるのでしょうか、

 ほんのりと(あか)く、ほおを()めたりします。
  ある(とき)は、綿(わた)ぼうしのような(くも)をのせて、

 その姿(すがた)を、(うみ)(うつ)して、(たの)しんでるのです。

 お(ねえ)さんは、

 その姿(すがた)毎日毎日(まいにち)(なが)めては、(kな)しんでいました。

 (からだ)はやせ、()(ひく)くなり、

 ごつごつした(ほね)()えるようになってしまいました。
  しかし、かつての(ほこ)りを(しめ)すかのように、

 ()をぴんと(のば)ばしています。

 そのお(ねえ)さんの気持(こも)ちをさっしてか、

 (いもうと)さんは、時々(きもち)(くも)(かお)をかくして、

 ()えなくなってしまうことがあります。

 きっと、いつまでも姉妹(しまい)でいたいのでしょう。
   みなさんは、雲見(くもみ)浅間(せんげん)さんへ(のぼ)ったことがありますか。

 (いま)でも、雲見(くもみ)浅間(せんげん)さんに(のぼ)って、(うつく)しい駿河(するが)富士山(ふじさん)を見て、

 「(うつく)しいなあ、すてきだなあ。」 

 「すばらしいながめだなあ」

 と、いい気分(きぶん)になってほめたたえると、
  (ねえ)さんが、(おこ)(がお)で、(からだ)をふるわせて、

 みなさんを(うみ)へふりおとすかもしれません。

 (いま)でも、雲見(くもみ)の人々は、この(はなし)(しん)じていますから、

 富士登山(ふじとざん)もえんりょして、ひかえているそうです。
雲見 大橋(くもみ おおはし)より()

 

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