6.河童(かっぱ) の かめ

               




(はなし)場所(ばしょ) ・・・  河津町(かわづまち)


















 むかし、むかし、

 伊豆(いず)河津村(かわづむら)栖足寺(せいそくじ)という

 お(てら)がありました。

 お(てら)のすぐそばを、

 (ふか)いふちをつくって、

 河津川(かわづ)がながれていました。

え 栖足寺(せいそくじ)屏風絵(びょうぶえ)

   (とお) くに() える天城連山(あまぎれんざん)の、

  雪解(ゆきど)(みず)(あつ) めた河津川(かわづがわ)清流(せいりゅう) は、

  あくまでも()みきって、

  (いろ)とりどりの(はな) しょうぶが、

  さきみだれるころになると、

  (むれ) れをなして、(あゆ)(のぼ) ってきました。
  お(てら)(ちか) くのふちを、「裏門(うらもん) のふち」と村人達(むらびとたち)() んでいました。

 ふちの両岸(りょうがん) からは、

 (やなぎ)(えだ)川面(かわも)() れるばかりに、()(しげ) っていました。

 そこは、(むら) のこども(たち) にとって、とても()(あそ)() でした。

 (すこ)(およ) ぎに自信(じしん) ができると、()() たない(ふか) みを横切(よこぎ) り、

 あわてて、(やなぎ)(えだ)にしがみつき、

 また(およ)(かえ) ったりして(あそ)んでいました。

え 佐藤 国治
  都合(つごう)()いことには、

 このうちのすぐそばにお(てら)温泉(おんせん)()() ていました。

 ですから、 (みず)あそびで(さむ) くなったこども(たち) は,そのまま、温泉(おんせん)(はい)って、

 からだを(あたた)め、また(およ)ぐというふうでした。 

 ところが、いつのころからか、

 一匹(いっぴき)河童(かっぱ) が、この裏門(うらもん)のふちに住みついてしまいました。

 (やなぎ)()(かげ)()(かく) しやすいし、

 温泉(おんせん)()(かわ)(なが)()して(あたた)かいし、

 () みごこちが()かったにちがいありません。
  (はじ)めは、おとなしくしていましたが、

 ()がたつにつれて、次第(しだい)(わる)さをするようになりました。

(みず)あそびを(やの)しんでいるこども(たの)(あし)()っぱって、

 おぼれそうにしたり、

 (かわ)(あら)(もの)をしている村人(むらびと)(まえ)へ、

 いきなりきみょうな(かお)をつき()して、

 (あどろ)かせたりしました。

え 栖足寺(せいそくじ)屏風絵(びょうぶえ)
   そうしたことが度重(たびかさ)なるにつれ、

  ふちの(ちか)くの(はたけ)(あら)らされたり、

  きゅうりが何本(なんぼん)(ぬす)まれたりすると、

  いつも、河童(かっぱ)のせいになりました。

  村人達(むらびとたち)は、いつか、この河童(かっぱ)をつかまえてやろうと、
  ふちのそばを(とお)るたびに、ねらていました

 しかし、(なつ)()ぎ、(みず)あそびをするこどもの姿(すがた)もなく、

 河童(かっぱ)大好物(だいこうぶつ)のきゅうりも(はたけ)から姿(すがた)()すと、

 いつしか河童(かっぱ)のことを

 村人達(むらびとたち)(あいだ)から(わすれ)()られていきました。
  ある(とし)のことでした。

 みかんの(はな)のにおいが(かぜ)にのって、村人達(むらびとたち)のほほをなぜ、

 (あゆ)(いきお)いよく(のぼ)っていました。
  その()は、お(てら)田植(たう)えです。

 大勢(おおぜい)村人達(むらびとたち)手伝(てつだ)いに()て、

 まるでお(まつ)りのようなにぎやかさでした。

 そして、()()るうちに、

 お(てら)のまわりの泥田(どろた)が、(みどり)(かわ)わっていきました。

 お(てら)のくりでは、

 もう手伝(てつだ)いの村人達(むらびとたち)のためのごちそうが、用意(ようい)されていました。
  ぶじに田植(たう)えが(おわ)わり、ほっとした人々(ひとびと)は、

 めいめい、どろんこになったすきやくわを、

 裏門(うらもん)のふちの(ちか)くの(かわ)(あら)っていました。

 労働(ろうどう)(あと)のここちよさや、この(あと)のふるまいを(おも)(うか)かべて、

 (はなし)(ごえ)(あか)るくはずんでいました。
  そのときです、どうしたことでしょう、

 おとなしくからだを(あら)われていた(うま)が、

 きちがいのように(あば)()しました。

 (うま)(ぬし)は、手綱(たづな)をひいて(うま)(しず)めようとしましたが、

 (うま)(あれ)れくるって()のつけようがありませんでした。

え 佐藤 国治

え 栖足寺(せいそくじ)屏風絵(びょうぶえ)
  (きゅう)出来事(できごと)にぼんやりしていた村人達(むらびとたち)

 あわてて(うま)(しず)めにかかりました。

 その(なか)()ざとく、

 (うま)(しり)にぶら(さが)がっている

 きみょうなものをみつけた(もの)(さけ)びました。

 「ありゃあ・・・・・・・なんだべ?」

 それを()いた村人達(むらびとたち)()は、

いっせいに、そのみょうなものに(そそ)がれました。
  (うわさ)には()いたが、まだ、ほんとうの河童(かっぱ)()(もの)はありません。

 村人達(むらびとたち)は、お(たが)いに(かお)見合(みあ)わせて、うなづきました。

 やっぱりこいつだ。 河童(かっぱ)にちがいない。

 村人達(むらびとたち)(むね)には、(はたけ)(あれ)らされたり、きゅうりを(ぬす)まれた(くや)しさがよみがえりました。
  「やっちまえー。」
 
 「ぶっころせー。」

 口々(くちぐち)(さけ)んで、(あら)いたてのくわを(ふり)()げました。

 ところが、河童(かっぱ)は、(うま)(しり)から(はな)れません。

 うっかりそばへ()ると、(うま)にけられそうだし、

 (うま)(きず)つけるわけにもいきません。

 人々(ひとびと)は、途方(とほう)にくれていました。

 しかし、河童(かっぱ)の方も、(みず)から()がって、だいぶたったので、

 お(さら)(みず)(かわ)いてきました。

え 栖足寺(せいそくじ)屏風絵(びょうぶえ)

え  岩谷 充
  そして、とうとう(うま)(しり)から()ちてしまいました。

 (よわ)()っていた河童(かっぱ)は、なんなく、村人達(むらびとたち)につかまってしまいました。

 つかまるとき、ひどくたたかれたので、もう(むし)(いき)(いま)にも()にそうでした。

 そこへ、だれかが()らせたとみえ、()()がった(こし)で、つえをつき、

 お(てら)和尚(おしょう)さんがやって()ました。
  村人達(むらびとたち)(はなし)()き、(よわ)り切った河童(かっぱ)()和尚(おしょう)さんは、

 ()()がった(こし)を、いっそう()げて、(たす)けてやるよう(たの)みました。

 村人達(むらびとたち)は、(はじ)めのうちは、なかなか承知(しょうち)しませんでした。

 しかし、和尚(おしょう)さんの(たの)みを無下(むげ)にも出来(でき)ず、

 これくらいひどい()(あわ)わせたのだから、もう(わる)さをしないだろうと、

 とうとう、河童(かっぱ)始末(しまつ)和尚(おしょう)さんにまかせました。
  そして、先程(さきほど)から、手伝(てつだい)いの女衆(おんなしゅう)が、

 (はや)()て、一っぱいやってくれと催促(さいそく)していたのに、うながされ、

 ぞろぞろとお(てら)(なか)()っていきました。

 (あと)(のこ)された河童(かっぱ)は、(あわ)れっぽい(かお)をして、和尚(おしょう)さんを()つめました。 

 和尚(おしょう)さんは(だま)ったまま、うんうんとうなづいていましたが、

 「さあ、さあ、はやく()きなさい。

 (とお)土地(とち)()って、(わる)さをしないようにして、(しずか)かに(くら)らすがよい。」
  と、()()かせますと、何度(なんど)何度(なんど)も、(あたま)()げるようにし、

 (いた)んだからだをひきずって、(かわ)(なか)(かえ)っていきました。 その(よる)

 ふと()()ました和尚(おしょう)さんは、まくら(もと)(たか)一尺(いっしゃく)あまりのつぼを()つけました。

 そのうえ、どこからか(はな)(こえ)()こえるので、不思議(ふしぎ)(おも)った和尚(おしょう)さんは、

 ()()してつぼの(なか)()ました。

え 栖足寺(せいそくじ)屏風絵(びょうぶえ)
 
  どうやら、そこから()こえてきます。 

 なおも(みみ)()せてみました。

 「和尚(おしょう)さん、和尚(おしょう)さん、ありがとうございました。

 (わたし)はあのときの河童(かっぱ)です。

 和尚(おしょう)さんに()われたように、(とお)くの土地(とち)()って(くら)らします。

 (たす)けられたお(れい)に、このつぼを()って(まい)りました。」
  (かわ)(なが)れの(おと)()じって、そのように()こえました。
 
 そして、名残(なごり)おしそうに、(あと)(こえ)川音(かわおと)(なか)()えていきました。
 
 和尚(おしょう)さんは、なんだか河童(かっぱ)がかわいそうに(おも)えてきました。

 それで、いっそう つぼの(なか)(みみ)(ちか)づけました。

 河津川(かわづがわ)清流(せいりゅう)のさまざまな(なが)れの(おと)が、
 
 (うつく)しい調(しら)べのように()こえ、

 いつのまにか、(こころ)(なか)まで(あら)われてくるように(おも)いました。
  いつしか、このつぼのことが、世間(せけん)にしられ、

 「栖足寺(せいそくじ)河童(かっぱ)のかめ」と

 ()ばれるようになりました。

 この河童(かっぱ)のかめは、(いま)栖足寺(せいそくじ)寺宝(じほう)として、

 (きり)(はこ)(なか)に、

 黄色(きいろ)(ぬの)(つつ)まれ、大切(たいせつ)保管(ほかん)されています。

 (たか)一尺三寸(いっしゃくさんずん)

 口径四寸(こうけいよんすん)(こっ)かっ(しょく)のかめの(くち)

 (みみ)(ちか)づけると

 ()んだ(かわ)(おと)(みみ)(はい)って()ます。
栖足寺本殿(せいそくじほんでん) 扁額(へんがく)
質素(しっそ)ながら重厚(じゅうこう) 河童(かっぱ)のかめ 記念碑(きねんひ)
祖母壊(そぼかい)()ばれ、七百年(ななひゃくねん)ほど(まえ) 鎌倉時代(かまくらじだい)瀬戸(せと)陶祖(とうそ):「加藤(かとう) 四郎左ヱ門(しろうざえもん)」の(めい)がある。

 

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