21.伏倉(しくら)長者(ちょうじゃ)

               




(はなし)場所(ばしょ) ・・・  松崎町(まつざきちょう)


















(ひさ) しぶりでございます。」

甲斐(かい)(くに)から、

二人(ふたり)小僧(こぞう)

(おお)きな荷物(にもつ)背負(せお)わせて

やって()幸右衛門(こうえもん)が、

ていねいなおじぎをしました。
  初冬(しょとう)()をいっぱいあびて、清太夫(きよだゆう)はきせるを(くち)にくわえて、縁側(えんがわ)(すわ) っていました。

 ここは、松崎(まつざき)伏倉(しくら)清太夫(きよだゆう)(いえ)

 そのころの伏倉(しくら)には、(せき)  清太夫(きよだゆう)という長者(ちょうじゃ)(きよ)をかまえていました。
   伏倉の(やま)あいの中心(ちゅうしん)に、見上(みあ)げるほどの(やかた)()て、 伏倉(しくら)()んぼは、清太夫(きよだゆう)財産(ざいさん)でした。

 (なに)しろ隠居(いんきょ)十軒(じゅっけん)もあるほどの勢力(せいりょく)でしたから、

 百軒近(ひゃっけんちか)小作人(こさくにん)(したが) えて、

 農業(のうぎょう)のかたわら武芸(ぶげい)練習(れんしゅう)までしていました。
 今日(きょう)も「的場(まとば) 」の(ほう) から、(ゆみ)練習(れんしゅう)(こえ)がきこえてきます。
   そこへ、幸右衛門(こうえもん)たちがやって()たのです。

 幸右衛門(こうえもん)は、小僧(こぞう)()れて絹織物(きぬおりもの)()りに、毎年(まいとし)(ふゆ)やって()るのです。

 そして、いつの(ころ)からか、清太夫(きよだゆう)(いえ)にとめてもらっては、

 松崎(まつざき)旦那衆(だんなしゅう)絹織物(きぬおりもの)(あきない)いをしているのです。
    「今年(ことし)のまゆは、よいものがとれましてな、いつになく よいお(おめ)(もの)()ていただけます。」

 と、小僧(こぞう)()()けさせました。

 そして、幸右衛門(こうえもん)は、あきんどには つりあわないと(おも)われる脇差(わきざ)を、

 そっとひざに()きました。
    この幸右衛門(こうえもん)には不思議(ふしぎ)なことがあるのです。

 幸右衛門(こうえもん)は、松崎(まつざき)のあきないを()えると、

 伏倉(しくら)(おく)蛇野(へびの)という(ところ)()えて、(みなみ)(ほう)絹織物(きぬおりもの)()りに()くのです。

 ところが、蛇野(へびの)(いけ)には、池代(いけしろ)男池(おとこいけ)女池(おんないけ)から、

 (おそろ)ろしい大蛇(だいじゃ)()()しているのです。

 ですから、人々(ひとびと)(おそろ)ろしくて、蛇野(へびの)(みち)(とお)らないのです。
   去年(きょねん)もそうでした。その(まえ)(とし)もそうでした。

 「おまえさんは、どうして大蛇(だいじゃ)におそわれないのかい。」 

 「大蛇(だいじゃ)はこわくないのかえ。」

 (なに)をたずねても幸右衛門(こうえもん) は  「へえ・・・・へえ・・・・・」と、

 (わら)いながら(こた)えるだけでした。
   清太夫(きよだゆう)家族(かぞく)(もの)が、こぞって()()めるのも()かず、

 幸右衛門(こうえもん)小僧(こぞう)は いとまごいをして、蛇野(へびの)()かって(ある)(はじ)めました。

 清太夫(きよだゆう)は、どうしても幸右衛門(こうえもん)のことが、

 ()がかりなので、(おも)いきって作男(さくおとこ)にさぐらせることにしました。

 幸右衛門(こうえもん)たちが出発(しゅっぱつ)して、一時(いっとき)ばかりあとから作男(さくおとこ)(あと)をつけました。
  蛇野(へびの)(いけ)(ちか)くまで()作男(さくおとこ)は、

 からだにがこおりつくほどの(おそろ)ろしい光景(こうけい)()てしまいました。

 (いけ)(はた)()ている(おとこ)大蛇(だいじゃ)()もうと(ちか)づいてくるのです。
 
 その(おとこ)は、幸右衛門(こうえもん)です。 

 からだを(よこ)にしてやすんでいるうちに、つい、うたた()をしてしまったのでしょうか。

 ひじをまくらに(あし)(ちじ)めて()ています。
   二人(ふたり)小僧(こぞう)はどうしたのでしょう。

 どこにも姿(すがた)()えませんでした。 

 (へび)がぐっと(ちか)づいて、幸右衛門(こうえもん)()もうとした(とき)

 幸右衛門(こうえもん)(こし)から、

 あの脇差(わきざし)がひとりでに(ちゅう)()って大蛇(だいじゃ)()かっていったのです。

   ちょうど、姿(すがた)のない(つよ)武者(ぬしゃ)()たれた(かたな)のように大蛇(だいじゃ)(たたか)うのです。

 あやしい(ひかり)をはなちながら脇差(わきざし)は、大蛇(だいじゃ)(きず)つけました。

 ついに、大蛇(だいじゃ)は、(あたま)(かえ)して(もり)(なか)()えていきました。

 すると、どうでしょう。

 脇差(わきざ)しも(おと)もなく幸右衛門(こうえもん)(こし)(おさ)まっていました。
  幸右衛門(こうえもん)は、手足(てあし)(のば)ばしながら(おお)あくび、

 あたりを見渡(みわ)しながら、小僧(こぞう)のいないのに()づいてあわてたようでした。

 小僧(こぞう)()()びながら(やま)()えてきました。 

 幸右衛門(こうえもん)姿(すがた)()えなくなったとたん、作男(さくおとこ)(われ)にかえりました。

 こわさでふるえるからだをいたわりながら、、やっと伏倉(しくら)にたどりつきました。
  (わる)(ゆめ)()たように、しどろもどろにしかはなせない作男(さくおとこ)(はなし)を、

 清太夫(きよだゆう)は、()をこらして()いていました。

 「このことは、(だれ)にもしゃべるでないぞ。」

 清太夫(きよだゆう)は、作男(さくおとこ)にきつく()いつけました。
  (つぎ)(とし)。 幸右衛門(こうえもん)は、

 去年(きょねん)とは(ちが)った小僧(こぞう)を連れて、また清太夫(きよだゆう)(いえ)()まりました。

 そして、いつもの(とし)(おな)じように絹織物(きぬおりもの)のあきないをしました。
   清太夫(きよだゆう)だけは、いつもと(ちが)って無口(むくち)になりました。 

 ()はいつも幸右衛門(こうえもん)脇差(わきざし)にそそがれています。

 幸右衛門(こうえもん)脇差(わきざし)がどうしても(ほし)しいのです。

 不思議(ふしぎ)魔力(まりょく)をもった脇差(わきざし)()()れば、

 清太夫(きよだゆう)は、もう(なに)もこわいものはないのです。
  幸右衛門(こうえもん)たちが出発(しゅっぱつ)する(まえ)(よる)

 寝静(ねしず)まってから清太夫(きよだゆう)は、かつて用意(ようい)しておいた脇差(わきざし)を、

 幸右衛門(こうえもん)脇差(わきざし)とすり()えてしまったのです。
  (なに)()らない幸右衛門(こうえもん)たちは、

 清太夫(きよだゆう)家族(かぞく)()()めるのにもかまわず

 蛇野(へびの)(いけ)()かって出発(しゅっぱつ)していきました。

 清太夫(きよだゆう)は、むきになって()()めたのですが・・・・・
  (つぎ)(とし)。 

 松崎(まつざき)(いね)不作(ふさく)でした。

 ()でりが(つづ)いて(いね)()がつかないのです。

 いつも()幸右衛門(こうえもん)は、姿(すがた)()せませんでした。
 (つぎ)(つぎ)(とし)
 清太夫(きよだゆう)()(うま)が、伝染病(でんせんびょう)でバタバタと()んでいきました。

 また、()でりで、(いえ)()んぼを()てて()げてた小作人(こさくにん)何人(なんにん)()ました。

 やはり、幸右衛門(こうえもん)はやって()ませんでした。 

 いつの()にか、大蛇(だいじゃ)(はなし)()かれなくなりました。

 その(つぎ)(とし)

 (なつ)にわるい病気(びょうき)がはやって、(あか)(ぼう)()どもたちが(おお)()にました。
松崎町池代(まつざきちょういけしろ)部落(ぶらく)
松崎町池代(まつざきちょういけしろ)智泉寺(ちせんじ)・・・大蛇(だいじゃ)を切った脇差(わきざし)(あら)ったといわれ・・血洗寺(ちせんじ)ともいわれたそうな。
松崎町池代(まつざきちょういけしろ)智泉寺(ちせんじ)六地蔵(ろくじぞう)さん
南伊豆(みなみいず)蛇石部落(じゃいしぶらく)蛇石(じゃいし)・・・・一説(いっせつ)にはこのお(おはなし)大蛇(だいじゃ)ともいわれている。

 
 
え  山田  大介

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