1.ぼなり(いし)

               




(はなし)場所(ばしょ)・・・ 東伊豆町(ひがし いずちょう)


















 大川(おおかわ) にある

 谷戸山(やとやま)石切場(いしきりば)から

 (おお) きな築城石(ちくじょういし)

 ()() された(ころ)

 むかし(ばなし) です。

  徳川幕府(とくがわばくふ)が、

 江戸城(えどじょう)をつくるのに使(つか)う大きな(いし)家来(けらい)大名(だいみょう)献上(けんじょう)せよと

 命令(めい れい)() しました。 

 江戸(えど)(ちか)伊豆(いず)築城(ちくじょう)によい(いし)があるということで

 (おお)(とき) には、三千隻(さんぜんそう)もの(ふね)伊豆(いず)にやってきました。
  一隻(いっそう)(ふね)が三百人()ちの(いし) を二つ、 

 (つき) に、二(かい)江戸(えど)(はこ)ぶのですから、

 谷戸山(やとやま)(はい)ると、 それぞれの大名(だい みょう)は、

  自分(じぶん)(いし) であることを証明(しょうめい)するために

 (いし)刻印(こくいん)をしました。
 刻印(こくいん)(なか) には、「」 「」 「」と、いろいろありました。

 大川(おおかわ)広前(ひろまえ)(おか)は、

 現場(げんば)かんとくの武士(ぶし)(いし)(はこ)()(ひと)

 めしのたき() しをする(ひと)と、

 たいへんな(ひと)でにぎやかでした。

 (いし)()って(はこ)()(とき)には、

 いくさの (とき)のようなすさまじさでした。

 かんとくの武士(ぶし)は、

 (いし)(うえ)()ったり、指図(さしず)をするのですが、

 仕事(しごと)()()された人夫(にんぷ)たちは、

 (うま)(うし)(おな)じように(はたら)かせられていました。
 (いし)(はこ)()(とき) は、とてもたいへんでした。

 (のぼ)(さか)になると百姓(ひゃくしょう)(かた)からは、

 ()がにじみ()るくらい(つな)()っぱり、

 (くだ)(ざか)になると(いきお)いついた(おお)きな(いし)下敷(したじ)きになって、

 けがしたりして()んだ(ひと)(すく)なくありませんでした。

 みんなは、そんな (とき)には、

 (ちから)() しあい仲間(なかま)(すく)() し、はげましあいました。
 「権平(ごんべえ)さん、だいじょうぶかね。もう(すこ)しで()()れるぞ、がんばれよ。」

 「これから(さき)、この仕事(しごと)はどのくらいかかるのかなあ。」

 「徳川様(とくがわさま)かなにかは()らないが、おれたちはつかれているよ。」

 「百姓(ひゃくしょう)もけがをすれば()() るさ。かんだるくもなるさ。」

 (うし)(うま) のように(はたら)百姓(ひゃくしょう)にとっては、

 お天道様(おてんとうさま)(やま)のかげにかくれる(とき)一番(いちばん)(たの)しみでした。
 (つぎ)()

 (ひがし)(うみ)からお天道(おてんとう)様が(かお)()小鳥(ことり)(うた)をうたい() すのを合図(あいず)に、

 また、(おお)きな(いし)(はこ)() しはじめました。 ところが、ある()
  (おお)きな(いし)(はこ)んでいると、()せども(ひけ)けども、

  ()がはえて大地(だいち)をしっかりつかまえているのか、

  びくとも(うご)かなくなってしまいました。

  とうとう、その()は、()()れてしまいました。

 (つぎ)()仕事(しごと)をすることになりましたが、 (つぎ)()も、

 その(つぎ)()も、村人(むらびと)は、

 いっしょうけんめい海岸(かいがん)まで(おお)きな(いし)() そうとするのですが、

 動き(うご)きませんでした。
 「わしゃ、(うご)かんぞ。だれがきても江戸(えど)なんか行かへんぞ。 

 大川(おおかわ)から() ないぞ。

 (まる)のうちの二っかりの(もん)をつけたからといっても、

 江戸(えど)なんか()くもんか。」

 と、()っているようでした。

 かんとくの武士(ぶし)もあきらめて、

 ほかの(いし)(はこ)ぶことにしました。 
  そして、

 予定(よてい)(いし)(はこ)()すと江戸(えど)(かえ)って()きました。

 大川(おおかわ)村里(むらざと)は、もとのように(しず)かになりました。

 ところが、(よる)になると、どこからともなく 

  「ボワー ボワー」 と、

 ()(ごえ)()(こえ)が聞こえてくるといううわさが、

 村人(むらびと)(あいだ)(ひろ)がりました。
  ()(ごえ)をたよっていくと、

 なんと(おお)きな(いし)のところからでした。

 「ああ、あの()(ごえ)は、

 (いし)(はこ)人足(にんそく)にかり()された百姓(ひゃくしょう)が、

 仕事(しごと)(くる)しさに()いたのだ。」

 「いや、江戸(えど)にいくのがいやだと、()いたのさ。」
 と、()人々(ひとびと)のうわさ(ばなし)村中(むらじゅう)(ひろ)がり(はじ)めました。  

 この(ころ)から、 村人(むらびと)たちは、

 (おお)きな(いし)のことを 「ぼなり(いし)」というようになったということです。
 
 この(おお)きな、ぼなり(いし)は、

 大川地区(おおかわちく)旧道(きゅうどう) 百三十五号線(ごうせん)(わき)においてあります。
※ この(へん)では、 ぼなり(いし)を ぼ()(いし)としても呼ばれています。
大川地区(おおかわちく)の ぼ()(いし)「ぼなり(いし)
大川地区(おおかわちく)の ぼ()(いし)「ぼなり(いし)

 

え   荒 川  孝

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