15.手石(ていし)阿弥陀三尊(あみださんぞん)
               




(はなし)場所(ばしょ) ・・・  南伊豆町(みなみいずちょう)


















ずっと、

むかしのことです。

天城(あまぎ)山中(さんちゅう)

一人(ひとり)巡礼姿(じゅんれいすがた)(おとこ)

足早(あしばや)下田(しもだ)をさして

(ある)いておりました。
  (おとこ)坂道(さかみち)(いし)につまづき、

 (みち)とも(おも)われない(はやし)(なか)をかき()(たに)(みず)()み、

 山蛭(やまびる)()()われながらも(ある)(つづ)けました。

 (まよ)ってしまったのだろうか、どちらを()ても(やま)ばかりです。
  (おとこ)心細(こころぼそ)(おも)いましたが、

 ひたすら念仏(ねんぶつ)(とな)えながら、(いそ)ぎました。

 ()べるものは(くさ)()ばかりです。 

 ()()け、ひげもぼうぼうに()び、

 (あし)もともおぼつかなくなったころ、ようやく下田(しもだ)()きました。
  (おとこ)甲斐(かい)(くに) 笹子(ささご)領主(りょうしゅ) 小俣(おまた) 左右衛門尉(さえもんのじょう)でした。

 (かれ)は、ごく普通(ふつう)領主(りょうしゅ)でしたが、(つま)()くし、

 ただ一つの(たの)しみは、一人娘(ひとりむすめ)みゆきの成長(せいちょう)のことだけ、

 という(おとこ)でした。
   みゆきは、()どもの(ころ)気性(きしょう)(はげ)しく、

 学問(がくもん)和歌(わか)より武術(ぶじゅつ)(この)み、薙刀(なぎなた)(おんな)先生(せんせい)などは、

 たちまち()(まか)かすほどのうでまえでした。
   だが、ある()

 左右衛門尉(さえもんのじょう)信頼(しんらい)している老人(ろうじん)がやって()て、

 「(ひめ)も、もう十才(じゅっさい)()ぎたのだから、

 いつまでも棒切(ぼうき)れで(くさ)をなぎ(たお)(あそ)びなどさせておくわけにいかぬ。

 そろそろ、(おんな)()としての(しつけ)けもさせておかなければ・・・・。」

 と、一人(ひとり)女性(じょせい)()れて()ました。
   その女性(じょせい)はおゆうといい、

 それはそれはしとやかな女性(じょせい)でした。

 みゆきは、(はじ)めは、おゆうに反抗(はんこう)しましたが、

 次第(しだい)にやさしさもで、(すこ) しずつ(おんな)()らしくなってきました。

 何年(なんねん)かたち、みゆきは、

 すらりと()(たか)色白(いろじろ)気品(きひん)のある(むすめ)成長(せいちょう)しました。
  婿取(むことり)りの(はなし)もいくつかありますが、 

 「みゆきは婿殿(むこどの)はいりません。」と。

 (おとこ)にはさっぱり興味(きょうみ)をしめしません。 

 左右衛門尉(さえもんのじょう)も 「まだまだ・・・・。」

と、一日延(いちにちの)ばしにしておりました。

 おゆうにかしずかれ、

 みゆきにしゃく)をしてもらう幸福(こうふく)生活(せいかつ)

 かえたくなかったのです。
  しかし、「(はる)()(ころ)には、なんとかしなければ・・・・。」

 そう、(かれ)も、そろそろ、隠居(いんきょ)してもよい(とし)になっていたのです。

 (とし)()けたある吹雪(ふぶき)夕方(ゆうがた)のことです。

 (みち)(まよ)った (わか)(たび)(そう)が、この(いえ)(おとず)れました。
  (かさ)(やぶ)れ、()()ける(ゆき)のために(まゆ)まで(しろ)くなり、

 いかにもみすぼらしい姿(すがた)でした。

 「(ゆき)(ふかく)難儀(なんぎ)しております。

 どうかお()(くだ)さい。」

 左右衛門尉(さえもんのじょう)(こころよ)(そう)()めてやりました。
  (そう)()恵心(けいしん)といって、

 (わか)いのに()()いていてとても(ひか)えめでした。

 一家(いっか)恵心(けいしん)(おく)(はな)れに()めてもてなしました。

 恵心(けいしん)一日中 座禅(いちにちじゅう ざぜん)をしているかのように

 (おなじ)姿勢(しせい)(すわ)っていました。
   「恵心(けいしん)さまったら、

 読経(どきょう)食事(しょくじ)(とき)だけですのよ、姿勢(しせい)()えるのは。」

 みゆきは(すこ)(うら)めしげに、(ちち)()げますが、 

 「出家(しゅっけ)されているお(かた)だ、仕方(しかた)のないことよ。」

 と、(ちち)はあまり、とりあいませんでした。
  毎日(まいにち)恵心(けいしん)世話(せわ)をしているうちに、

 いつしか、みゆきは

 (かれ)(した)うようになっていったのです。

 しかし、恵心(けいしん)は 「(わたし)出家(しゅっけ)()でございます。

 ここにのんびりとしてはいられません。

 明日(あす)(ゆき)をかきわけても()かけようと(おも)います。」
  左右衛門尉(そうざえもんのじょう)にも、おゆうにも、

 みゆきの気持(きも)ちは(いた)いほど(わか)っていましたが、

 どうすることもできません。

 (そう)一刻(いっこく)(はや)()()ってくれるのが、

 一番(いちばん)よい解決(かいけつ)(よろこ)んで(たび)支度(したく)(ととの)えてやりました。
   その()、みゆきは

 (ゆき)(なか)白装束(しろしょうぞく)裸足(はだし)のまま(はなれ)れに(しの)()

 恵心(けいしん)左胸(ひだりむね)懐剣(かいけん)()て、

 自分(じぶん)もまた(くち)懐剣(かいけん)(ふく)んで

 (やしき)(うら)古井戸(ふるいど)()()げてしまいました。
   このことがあってから、

 左右衛門尉(さえもんのじょう)(やしき)には不吉(ふきつ)なことが(つづ)きました。

 おゆうは(おとこ)()早産(そうざん)子供(こども)はすぐに()に。

 おゆうも三日後(みっかご)()んでしまいました。

  (はる)になると火事(かじ)(やしき)半分(はんぶん)()けてしまいました。

 また疫病(えきびょう)のため領地(りょうち)(もの)大勢(おおぜい) ()んだりしました。

 左右衛門尉(さえもんのじょう)には、もう(たの)しいことは(なに)もなくなりました。
  その(ころ)左右衛門尉(さえもんのじょう)

 奥伊 豆手石(おくいず ていし)阿弥陀尊(あみだそん)のことを

 ()いたのです。

 下田(しもだ)()いた(かれ)里人(さとびと)(たの)んで

 すぐに(ふね)()しました。

 (やす)んでなどいられなかったのです。
  朗々(ろうろう)とお(きょう)(とな)(つづ)けながら、

 洞窟(どうくつ)(なか)(すす)みました。

 その(こえ)はあちこちに反響(はんきょう)し、

 千人(せんにん)もの(ひと)音楽(おんがく)(かな)でているようでした。

 しばらく(すす)むと、

 暗闇(くらやみ)(なか)から、(ひかり)がさしているのが()えました。
   これこそ阿弥陀 三尊(あみだ さんぞん)です。 

 かれはあふれる(なみだ)をおさえ、

 ()をふるわせ、ひたすら(ふし)(おが)みました。

 (かれ)(こころ)(つう)じたのでしょう。 

 御三体(ござんたい)はまばゆいばかりに(かがや)きました。

 
 
え  泗川  善美

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